本社工場の他、東日本で4工場を展開する藤工業は、元々鉄筋工事からスタートした会社。鉄筋に関わることなら何でもしたいと意欲的だが、今後の施工業界の人手不足に対して「これまで以上の性能が求められるので、基礎工事の工業化も必要」だと藤田社長は語ります。
JHR会員うちの会社インタビュー 語る人
藤工業株式会社・代表取締役社長 藤田清志 氏
「JHR会員うちの会社インタビュー」とは コロナ禍で生活や社会の姿が大きく変わってきましたが、日本住宅基礎鉄筋工業会の会員企業も新しい時代に向けて一生懸命活動しています。こうした会員企業の現状や今後の目標などについて、“うちの会社”を代表者に語っていただきます。
藤工業の基礎鉄筋との関わりなどはどんな感じでスタートされたのですか。
藤田 先代が北海道出身で中学卒業して大阪に出て自転車の修理屋を始めた。その後、縁があって東京に来て日本一の鉄筋屋と言われる株式会社小黒組の創業者の小黒末吉さんに拾われて、そこから鉄筋工事・職人を始めた。鉄筋工事だけではなく鉄筋に関するものは全部やろうということで、今の会社の業態になってきました。
また鉄筋工事以外のものとして差筋アンカーを始めたのですが、鉄筋で作ると歩留まりが悪くて残材がいっぱい出る。もったいないということで、そこから製品化を始めたのです。
次に帯筋とか肋筋の溶接を始めた。きっかけは先代が「機械を買ってきたからこれでできることないか」と言われてやったものです。その後お客さんから「評定持っているか」聞かれたんで「何ですかそれ!」となって、初めて評定のあることを知ったんです。直ぐに日本建築センターとやり取りして評定を取得しました。
ユニット鉄筋の製品化では、元々鉄筋工事でお世話になっていた埼玉県の近藤建設さんの現場監督さんから、「ユニット鉄筋というものがあるが藤工業で出来ないか」と言われたのが発端です。また「何ですか?!」となり私も現場に行って見たら「これ凄い」と思い、うちの会社で出来るやり方でやって行こうとなったわけです。
何年前くらいですか。ユニット鉄筋は独力で製品化をしたのですか。
藤田 20年くらい前です。最初は一本一本曲げ加工して治具を作って鉄筋を並べて手作業で加工していた。何も分からなかったので、うち先代が岡田工業の岡田社長(現会長)と付き合いがあったので相談したら、設計事務所を紹介してもらって何とか評定作業を始めたのです。
この工場も先代が何をするわけではなく買ったもので「ここで何か商売を見つけろ」と言われた。厳しい先代でしたね。
そこから溶接機械とか色々な設備を入れて始めた。先代からある時洋服のハンガーの工場をやるかと言われたことがありました。振り返ると、まあ色々な事が勉強になっています。だから、ちょっとの事では動じませんね。今工場を秋田、宮城、北海道、群馬と作ってやっていますが、計画的に進めてきたことなので、今後住宅市場の縮小が言われますが商売が無くなるとかのイメージはあまり持っていません。結構楽観的に考えています。